悪性リンパ腫戦記 その9(最終回)~失ったもの、得たもの

悪性リンパ腫戦記 その9(最終回)~失ったもの、得たもの

ついにこの「悪性リンパ腫戦記」も最終回となります。

自分なりの気付きを振り返り、まとめに入ります。

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命は拾ったが、失ったものが3つ

「がん」との激闘を制した自分ですが、永久に失ったもの、永久に困難になったものがあります。

1.腕の血管の浮き上がり

2.新たな生命保険への加入

3.団信保険の加入

は大したことないと言われればそれまでですが。(-_-;)

1.腕の血管の浮き上がりが無くなった

これに気付いたのは寛かい3か月後、CT検査前の採血の時です。

たいていの男性の腕は血管が浮き上がっているもので、実際僕もそうだった。

ところが、寛かい後の僕の腕の血管は見る影も無くぺったんこになってしまったのだ。

(しかし、表側の血管はぺったんこだが、裏側に血管が浮き上がった。)

抗がん剤をすると血管が細くなるという。

腕の血管をクローズアップしていますが、実際は他の血管も細くなっているかもしれませんね。自分では分かりませんが。

何にせよ、採血するたびに面倒なことになった。

血管が浮き上がっていないので、採血の前にはその場で腕を湯に付ける手間が必要となった。

それでも血管が浮き上がるのはほんの僅かだ。採血は難しいであろう。

運良く、採血の上手な医療従事者に当たれば、注射を上手く使って血管を拾ってくれるのですんなり済む。

未熟な医療従事者は四苦八苦だ。

採血するのはたいてい女性の医療従事者だが、さんざん悩んだ挙句、エイヤ!って刺す人が多い。(驚)

んが、血管を拾えずそのままグリグリ血管を探るので痛いのなんの。(涙)

酷い時は3回ぐらいグサグサっとトライされた後、断念してベテランに交代された(オイ! ̄□ ̄;)

なので、僕は採血の前には必ず裏側の血管からの採血を希望している。だが、僕の希望を聞かずに、なぜか表からの採血にこだわる人が多い。(汗)

すんなり裏側から採ってくれる人もいるが、8割方は何としても表から採りたがる。。。

なぜだ? なぜなんだ??

医療従事者としてのプライドなのか?プロ根性の意地なのか??

僕としては時間の無駄と痛みに繋がるので、素直に裏側から採って早く終えてほしいのだが。(汗)

今ではあの頃よりは多少、血管の浮き上がりは出てきたように思えるが、見た目はぺったんこのままである。

しかしこの多少の浮き上がりのお蔭で、今では未熟な医療従事者でも表から採血できる。

それでも会社の健康診断の時など、今でも採血の前はちょっと億劫な気持ちになるのは変わらない。

もともと腕に筋肉が付きにくい体質のため、さらに血管が浮き上がっていない腕は華奢に見える。ちょっとしたコンプレックスとなった。

2.新たな生命保険への加入が困難

大病にかかった事がある人にしか分からない悩みだと思います。

独身ならあまり考えないだろうが、家庭を持つ旦那なら次回のリスクに備える1つの手段として、生命保険の追加は考えるのではないでしょうか。

僕の場合は「がん」ですが、一度その症状を経験しちゃうと新しい生命保険に加入したくてもすんなりいかないのだ。

加入条件は保険会社によって規定が違う。

寛かい後、10年経たないと加入できないところもあれば、それでも不可能というところもある。

加入できたとしても、健康時の加入に比べると審査が厳しく、月々の支払額も高額になりがち。

なので、僕はこの生命保険の選択肢はやめました。

無論、もっと調べればいろいろと手段はあると思うが、自分が心底納得できるものにあたる可能性は労力の割に低そうなので、ちょっと面倒くさくなってしまった。

図らずも功を奏した僕の保険

若い時に加入した保険が大きな力となった。

1つめは「第一生命保険」

3大疾病になったら以降、月々の保険代は払わなくても死ぬまで保障されるプラン「堂々人生」という商品だったのだ。

そう、「だった」のだ。(笑)

26歳の時に加入したものだったが、大して興味もなく、勧められるがままに契約した。

その保険外交員が母親の古い知り合いで、当然僕も子供の頃から知っている人だ。なので全面的に信頼していた。

今でこそ、そういうプランの保険はどこの銘柄でも扱っているが、当時は新物で「保険代がタダ」というフレーズは世間をちょっと賑わしたらしい。

事実、それ以降一度も保険代を払っていないが保障は続いている。

2つめは「アリコのがん保険」

いつぞやアリコが買収されたため今ではメットライフ生命になっているが、内容と保障はそのまま生きている。

これは27歳の時に友人から頼まれて加入したものだ。

当時、アリコジャパンは有名だったし、両親ともがんが原因で死んでるし、月々3000円でがんになった時に待遇の厚い保障を受けられるならまあいいかと思って、軽い気持ちで加入したものだ。

まさかこの保険がこんなに早く役に立つとは。

ちなみにこのがん保険は月々の支払いは免除されない。今でも払い続けている。(10年毎に保険代は高くなる)

僕のように「がん」を経験すると、保険がいかに大事なものか痛感することになる。

健康な時の保険はただの出費にしか感じなかったが、いざ病気になるとこんなに有難く心強いものはない。

こんな事になるなら、もっと高い保険を幾つも入っておけばよかった。と、思うのが保険ってやつですよね。

明日の事は誰にも分からないから人生は難しい。

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3.団信保険への加入が不可能

団信保険とは「団体信用生命保険」のこと。

住宅ローンを組んだ本人が死亡、もしくは高度障害でローン返済が不可能と判断された時、その保険金で住宅ローンを返済するための生命保険。

たいていの人は住宅ローンを組む際に団信保険に加入するが、僕はもうそれができない。

結局はさきほどのと内容が被りますが、「がん」になると団信保険が加入できないで、おいそれと住宅ローンを組めないのである。

もし、それでも住宅ローンを組むのであれば「フラット35」という手段になる。

「フラット35」は保険無しの住宅ローンなので、もし旦那が返済途中で他界したら残された家族がその借金を背負うことになる。

残された家族には遺族年金が月々降りるので、それを借金に充てることはできる。

しかしその分、カミさんの老後に残された年金は僅かしか残らなくなるので、ひもじい生活になるだろう。

金、心労など、挙げたらキリが無いが、借金があると残された家族は何かしら大きな代償を払わなくてはならない。

そんな負のイメージばかり考えると、住宅ローンを組むのが怖くなる。

住宅ローンを組むなら健康な若いうちにしとけばよかったと痛感します。

新たに得たもの

もちろん得たものもあります。

1.体験したからこそ得た見聞、考え方

2.家族が増えた

特には語りだすと止まらないぐらいのボリュームなので、簡潔にいきたいと思います。

1.体験したからこそ得た見聞、考え方

これは作中、所々で表現していますが、僕はまだ良い方だという事です。

あの同じ病室仲間の闘病生活と大変さを目前にすると悲痛な気持ちになる。

しかし同時に、自分はまだ良い方だったんだ、と思わざるをえない。

この世界の闇というか日陰を少しだけ見たことによって、考え方が少しポジティブになりました。

死の恐怖も味わった。生き延びる努力もした。

この病気や薬についても学んだ。

いろんな痛みとストレスとも闘った。

いろんな病院に行き、O先生とも出会い、その他多くの医療従事者にも世話になった。

一番苦労をかけたカミさんには、家族の有り難さも教わった。

治療中、会社の連中には僕の分の仕事を背負ってもらった。

こんなに密度の濃い6か月はなかなか味わえない。(もう味わいたくないが)

多くの事を学んで体験した期間であった。

この試練は今後の僕の人生にどういう意味をもたらすのか?

真なる意味は神のみぞ知るというところか。

2.家族が増えた

寛かい4年後に長男を授かった。

38歳という遅咲きで父親となる。

その2年後に二男を儲け、二児の父親となる。

抗がん剤をうつ前に精子凍結保存を行ったが、それを使用しても子供はできなかった。

子供は半ば諦めていたが、4年の歳月を経て自然で授かった。

平日は、仕事から帰ってくる時間にはボウズらは寝ているので会えないが、休日はもっぱらボウズらの遊び相手だ。

たまの休日ぐらい1人で自由気ままに過ごしたいと思ったりもするが、それは彼らがもっと成長してからの楽しみにとっておこう。

まとめ

いろいろと思うところはありますが、真実は1つ。

命より大事なものはない

現在、寛かいからちょうど10年経ちました。

O先生は寛かいした3年後に病院を退職し、主治医はY先生に引き継がれました。

O先生の最後の挨拶の際、今後については本人が内緒にしたいとの事だったのでその意思を尊重し何も聞きませんでした。

別の病院で務めるとだけは聞いてますがそれ以上の事は分かりません。

O先生には感謝の意を表すると共に、健康とご多幸を願い、これからも多くの人を救っていただきたいと思う。

定期的なCT検査も10年通い続け、全てオールグリーンでこれました。

一応、CT検査は卒業ではありますが、そのまま通い続けてもOKとの事。

どうするかはまだ決めていません。

しかし、せっかく1年に1回、無条件でCT検査を受けることができる環境を持っているので、解除するのは勿体ないような気がする。

現在44歳、腰椎ヘルニア症ではあるが概ね健康を維持している。

健康に気をつけながらも、週末の晩酌はちょっとした楽しみである。

脂肪燃焼と運動不足解消のため、休日はスピンバイクで汗を流す。

晩酌→スピンバイク→子供と遊ぶ→仕事→晩酌

こんなワンパターンな日常だが、これを幸せというのであろう。

ちなみに僕のスピンバイクはこれです。

ダイエット&運動不足解消~スピンバイク

生きていて良かった。

死んだらその後の美味しいものは食べれなかったし、子供とも出会えなかったし、喜怒哀楽は経験できなかった。非常に勿体ないことだ。

せっかく拾った命。存分に活用していこう。

せめてボウズらが社会人になるまでは頑張らんとね。

「徒然生活の中にも」

この後に続く言葉を探して今日も生きていく。

ご愛読、誠に有難うございました。

完。

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